教会の歴史

 

金沢独立キリスト教会50年の歩み            (記念誌より)

   

 

当教会の歴史は、永倉義雄師による中国での南京(なんきん)伝道から始まります。山室軍平師が導いた救世軍士官学校を出て、いくつかの教会の牧会をした後、永倉は淀橋教会・副牧師の招聘を受けました。しかし就任式前日に主から「南京へ行くように」と召され、その淀橋教会からの招聘を断り、当時日本軍による大虐殺が行われた中国・南京の地に、謝罪の使者として赴きます。その時一人の憲兵・北弘二(後の恵泉教会・初代牧師)が、南京の諸教会を見張っているうちに、キリストの教えに心動かされて救われ、南京教会で信仰生活を送っていましたが、その信仰のゆえに、不良憲兵として、軍部から本土へ送り返されました。

 

その後、北弘二は献身し、東京聖書学校で学び、故郷の石川県・河北の地にホーリネスの群れの恵泉教会を開拓し、伝道を始めたのでした。そこに岡山で新しく開拓伝道をしていた永倉が、たびたび応援に訪れます。そして当時師範の学生であった岡田意師(当教会・前主任牧師)が、先に導かれていた内潟ハルの導きにより集会に集うようになり、その伝道によって救われたのでした。その後永倉師の霊的な導きを頂く中で、主の召しに預かり、献身の歩みが始まりました。多くの迫害の中で、霊に燃えた信徒たちの祈りと戦い、伝道の中で神の国の働きは進んで行きます。教会創設以来、北陸学院教師をしながらの伝道と牧会でしたが、主が祝福して下さり救われる兄弟姉妹を起こして下さったため、教師と牧師の両立が困難になりました。しかし教師を辞める事は、経済的にはなお大きな試練でしたが、ひたすらに主の導きを求めて祈りに祈る中、北陸学院の教師を辞し、牧会伝道一本に専念することとなったのです。

 

当教会は当初から「ハドソン・テーラー」や「ジョージ・ミューラー」の信仰に学び、「必要は主が祈りに答えて必ず与えたもう」という信仰に生きる事を志しました。そのため誰かに寄付や献金を強いるという事はせず、銀行から借りることもしなかったのです。しかしすべての必要をご存知の主は、働きの前進と共に必要な土地と建物を与えて下さいました。

「厳しく耕された畑にこそ、神の実りは豊かに実る」という主の教えを信じ、一つの一つ教えられたことを心に刻みながら、更なる教会の健全な成長と、北陸とこの国の福音化のために祈っています。

 

当教会を開拓し、長年にわたって伝道・牧会にあたってきた初代・岡田意牧師が2017年11月に召天しました。

突然のことでしたが、その後岡田仰師が二代目の主任牧師として就任し、神の守りのうちに教会は新しいスタートを切ります。そしてかねてから祈りの課題であった新会堂建設に取り組みはじめ、2019年11月に、坂野慧吉先生(浦和福音自由教会・牧師)司式のもと、教会開設以来初めてとなる「献堂式」を挙げることができました。 

(献堂式 2019年11月10日)

 

 

 

 

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